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イタリア・ドロミテ山塊

 
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ローマ歴史散歩「ポンペイ遺跡を歩く」その2

ジュピター神殿跡



ポンペイのジュピター神殿は、紀元前2世紀頃、ヴェスビオ山を背景にフォーロ(中央広場)北側に聳え立っていた。


当時正面奥の壁には、ジュピター神(神々の王)、ジュノー(ジュピターの妻)、ミネルバ(知恵と武勇の神)の
聖像が祀られ、ポンペイの人々の崇拝も、海の道の途中で見てきたアポロ神(太陽の神)から、これら三神に移っていったものと思われる。


高さ3mの基壇の右側に廻って、鉄格子内の地下室も是非覗いて見る。そこは聖具や公金保管場所となって
いた興味ある場所だ。


公衆浴場跡


ジュピター神殿左側のジェルマニコの凱旋門をくぐると、公衆浴場跡にでる。
見学は、脱衣場、冷水浴場(フリギダリウム)、温水浴場(テピダリウム)一番奥の熱浴場(カリダリウム)の順。
温水浴場では、壁に飾られたテラコッタ製の男性像、ニジド・ヴァックラが収めたブロンズ製の火鉢に注目。
熱浴場では、熱風を通すために作られた2重壁の様子よくが見えて興味深い。


帰りは同じ順路を脱衣場に戻る。脱衣所から浴場通り側に出ると、道の反対側にはひと風呂浴びた人を
待つための、飲料用の甕が埋め込まれた居酒屋の跡があるので暫し立ち止まってみたい。
(トイレ・バールがあり、見学途中の休憩場所として利用できる。)







悲劇作家(詩人)の家=中流家庭の遺跡


居酒屋のすぐ左手にあるポンペイの中流家庭の遺跡
まず入口の床にあるカーヴェ・カーネム(犬に注意)」
と描かれた犬の絵の白黒のモザイクは必見。


中央に雨水を貯めるための水槽(インプルヴィウム)がある中庭(アトリウム)、その次の間が古代ローマの
住居で最も重要な客室(タブリヌム)と続く。
この家の名前は,タブリヌムのモザイクにギリシャ悲劇が描かれて
いたところから付けられたとのこと。
家人の居間や休憩室は、アトリウムやタブリヌムの両脇に置かれ、一番奥が柱に囲まれた奥庭(ペリステリウム)
と寝椅子のある食堂(トリクリニウム)になっていた。


カリゴラの門=メルクリオ通り(住宅街)=メルクリオの塔からのパノラマ


悲劇作家(詩人)の家を左手に行くと、すぐカリゴラ(ローマ皇帝)の門にあたる。
ここから反対側のメルクリオ
の塔
までヴィスビオ山に向かって一直線に伸びている道がメルクリオ通り。
このあたりはポンペイの住宅街で、2階はバルコニーを持った家がならんでいたようだ。300mほどの通りの両側の住居跡をみながら、メルクリオの塔に登ると、ヴェスビオ山、遺跡、,海、と素晴らしいパノラマを楽しむことができる。


ファウヌスの家=1区画全部を占める大邸宅跡


メルクリオの塔から同じメルクリオ通りは半分ほど戻ると、小メルクリオとおりと交差するので、左に曲がる。
そこから2ブロック行った右側には敷地面積がおよそ40mX110m、ポンペイで最も美しいといわれた大邸宅
ファウヌスの家があるので立ち寄ってみる。
家の中央の居間には、有名な「アレクサンダー大王とペルシャ王
ダリウスの戦い=イッソスの戦い」のモザイクがあったが、現在ナポリ考古学博物館に保存されている。


ベッティの家=遺跡見学のハイライト


ファウヌスの家の1ブロック先にある遺跡見学のハイライト、富豪ヴェッティの家に立ち寄る。


まず玄関に立つと、家の豊かさを例えて、豊穣の神プリアポスが一物の重さを測っている絵を見てびっくりする。


玄関先のアトリウム(中庭)を右に折れると守護神と大蛇が描かれた祭壇を見学。


その奥の台所の調理器具と、更にその奥のエロティック絵がえがかれている女中部屋も必見。


元に戻ってアトリウムから右回りで家の中を見学。最初の居間と壁画を見る。


大食堂(トリクリニウム)の壁は、赤(ポンペイの赤)の基調に帯状の黒で塗られている。黒地に描かれ
ている当時のポンペイ市民の生活やキューピットの様々な動き、赤の背景に描かれた神々のカップル
(右からペルセイウスとアンドロメダ)など、ポンペイの大富豪の食卓を思い描いてじっくり鑑賞したい。



二千年前のように再現された奥の中庭の花壇。噴水には鉛の水道管が使われ水を送っています。


1周して元のアトリウムに戻り、最後に右手にある居間に描かれている「アポロに捧げる鹿を殺し、嘆き悲しむ
チパリッソ」「レダ」「ダナエ」などのフレスコ画も忘れずに見てみよう。


ローマへ行くお勧めツアー一覧


イタリア歴史散策(7) ポンペイ遺跡

2千年を超えて蘇った古代都市ポンペイ

ポンペイの歴史は紀元前8世紀に遡る。
イタリア先住民のオスク人が、サルノ川河口近く、海抜40mの溶岩台地の上に誕生した時に始まったといわれ、その後、エトルリア、ギリシャ、サムニウム、ローマと支配が移っていった。
美しい円錐火山ヴェスビオの麓にはぶどう畑が広がり、魚、塩,羊毛などの産物が港を出入りしていた。 こののどかな生活を破壊した最初の大惨事が起こったのが紀元62年の大地震、そして町が大地震からの再建を進めていた紀元79年8月24日に2回目の決定的な出来事が起こった。

死火山と考えられていたヴェスビオ山が突然大噴火して、3日間におよぶ惨劇の末、麓のエルコラーノ、ポンペイ、スタビアなどの町々は溶岩と火山灰に埋もれ、毒ガスにより多くの人命が奪われた。
ポンペイは忘れられた町として火山灰の下に埋もれていたままだったが、2000年の時空を超えて現代に蘇った奇跡の古代都市だ。

ポンペイ遺跡を学ぶー古代都市遺跡の集大成

遺跡めぐり大好きシニアは、旅行会社主催ガイド付オプショナルツアーよりも、ローマから列車を利用し、 ガイドブックを持ち、学びながら遺跡を歩くことを薦めたい。
ポンペイ遺跡は紀元前の信仰、生活の様子が集大成された貴重な場所で、古代都市の姿を学ぶには格好の場所ともいえる。
ローマからナポリまではユーロスターで2時間弱、インターシティーで2時間強の距離。ナポリからはヴェスビオ周遊鉄道ソレント行きを利用するのが便利。
およそ30分毎で、40分ほどでポンペイ遺跡前のヴィッラ・ミステリ駅に到着する。風景もナポリを過ぎるとブーゲンビリアの花などが咲き、突然南国の雰囲気になる。
ナポリ湾を、右に見ると後方にはナポリとサンタルチア港が、前方にはソレント半島とカプリ島も見える。ヴェスビオ火山は進行左手、噴火で頂上が吹き飛んだ山は、見る角度により一つと2つの山の姿に変わっていく。

誰でも知っている「フニクリ・フニクラ」は、ヴェスビオ山登山鉄道のコマーシャルソングとして作られた。

現地イタリア人ガイドと歩くポンペイ遺跡の2時間コース

ポンペイ遺跡のチケット売場

ポンペイには6つの門があるが、遺跡には海の門から入る。11月〜3月は最終入場時間が早く午後3時30分となって いる。
また夏の遺跡めぐりは炎天下になるので,帽子と飲料水が欠かせない。ポンペイを学ぶためには、土産店で売っている復元図付ガイドブック(12ユーロほど)が欠かせない。

海の門

海の門から続く海の道はフォーロまで150mほどの直線道路。 今の海岸線は1kmほど離れているが、当時は海に近くポンペイに運ばれてくる商品はここを通って町に運ばれた。
門の前に立つと、2つのアーチ型の門が見える。左は歩行者用、右は荷馬車用、また門の左には商品を置く倉庫があったようだ。
夕方になると門が閉められるので、締め出されて外の宿屋に泊まった人も沢山いたようだ。
やや急な古代の石畳を歩いて、荷馬車用の海の門に向かう。門をくぐると2000年を超えて蘇った古代遺跡の世界が徐々に開けてくる。

ポンペイ遺跡の石畳

坂道を200mほど歩くと遺跡のある台地に到着する。今歩いてきた荷馬車用の石畳の表面には、荷馬車が通った 轍がはっきりと見え、ポンペイの活気ある経済活動が伺える。
石畳のところどころには、両側の歩道を結ぶ置石が 荷馬車が隙間を通れる間隔で置いてある。雨などで水が出たときなど、ここで反対側の歩道に渡ったらしい。

バシリカ

坂道を登った右側にある遺跡。縦55m横24mの広さで紀元前120年ごろのもので、人々の集う場所でもあった が、司法の場としても使われていたとのこと。
遺跡の中庭にある円柱の礎石の上には、建物を支えるコリント式の 円柱が林立し、奥の5本の柱がある場所の2階には法廷があった。
今は砂地となっているバシリカの床面に立って、 当時の屋根付の壮大な建物を思い描いてみたい。

アポロ神殿

海の道を登って右側がバシリカ、左側にはアポロ神殿跡がある。海の道側の入口から入ると、2本の円柱と 神殿があった基壇が目に入る。
ポンペイのアポロ信仰は古く、紀元前6世紀にさかのぼると考えられている。
復元図によれば、正面は6本のコリント式円柱が、全体で48本の円柱に支えられた建物だったようだ。
遺跡を去る前に、基壇左にある日時計、中庭にある大理石の供物台、入口右側のアポロと左側のディアナの ブロンズ像(複製)も見逃せない。

フォーロ

アポロ神殿から出てすぐに海の道の終点フォーロ広場に出る。
遺跡全体では西側の場所で南北に向いた 142mX38mの長方形でポンペイの宗教,生活の中心となっていた所。広場に出たら左手を眺めると、 ポンペイの町を襲ったヴェスビオ火山の勇姿が望める。
この場所は、ヴェスビオ山全体と遺跡が同時に写せる ポイントだが、またポンペイの悲劇に思いをめぐらすことができる場所でもある。
山に向かって広場に立つと、正面には紀元前2世紀ごろの建造とされる6本の柱が残るジュピター神殿跡が 目に入る。
神殿両脇には凱旋門が、フォーロの周りには、2階建ての柱廊だった柱跡が、フォーロの左手7つの 台座には名誉を受けた人の像,その南には演説壇が、右手奥には行政機関の建物跡がある。
お勧めコースは広場の左手を北の凱旋門に向かって歩く。商品取引で使われた大きさの違う穴のある大理石の 計量台は生活が滲み出て面白い。
その先の当時穀物庫だった場所は発掘物の保管場所となっている。 特に、苦しそうに鼻と口を抑えた火山の噴火による犠牲者たちの石膏像は見逃さないこと。

ポンペイ遺跡を巡るお勧めツアーガイド


ローマ近郊の歴史散策(6) シエナ:トスカーナの弧高の町

  • シエナ Siena は、イタリア中部のトスカーナ州 Tuscany 、 海抜300mほどの丘の上に広がる、人口約6万人の中規模の古都。
  • カンポ広場、シエナ大聖堂をはじめ、中世のたたずまいが今も残っていて、 「シエナ歴史地区」として1995年に世界文化遺産に登録されている。
  • ローマからの日帰りは無理だが、 フィレンツエからなら、十分なゆとりを持った日帰り旅行が可能。
  • シエナはフィレンツェやピサと並ぶ、トスカーナ観光の人気都市。
  • フィレンツェは盆地の街で、ピサが海洋都市であるのに対して、 シエナは丘の上にある都市なので、非常に坂の多い街。
  • 街に一歩足を踏み入れると、中世の街並みが良く保存されており、 とても雰囲気の良い街であるために、いつも観光客でにぎわっている。
  • 「GDPは日本より低いけれど、一人一人楽しそうに生活している」(日本の官僚スタッフの弁)、のどかな田園風景と美しい古都の観光都市。

シエナの見所

ヨーロッパ一の美しい広場 − カンポ広場

カンポ広場は、貝殻の形をした世界で最も美しいと賞賛される広場である。

正面の建物は市庁舎、その左側がマンジャの塔、広場全体は貝殻の形で、 市庁舎に向かう下りのスロープをみると、市庁舎は舞台、広場は座席に見立てられ、 まるで巨大な劇場に立っているような感じを抱く。

舞台にあたる市庁舎からの眺めは、調和のとれたヨーロッパでも指折りの美しさだ。

シエナの町の赤レンガの狭い町並みからカンポ広場へ通じる道は、 丁度、劇場の狭い入口から広い舞台へ続く通路のような感じで、 通りから細い路地をくぐると、 突然、シエナの美しいカンポ広場が目の前に飛び込んでくる。

広場に引かれた線にも注目。
9つに分けられた線は、14世紀中ばまで シエナを治めた9人委員会(ノーヴェ<9の意味>体制)を意味している。 ヨーロッパ最高の劇場広場に座り、ジェラートを食べて古都シエナの香りを体に吸い込みたい。

市庁舎内のシエナ派の画家シモーネ・マルティーニの「荘厳のマエスタ」、
アンブロージョ・ロレンツェッティ「善政と悪政の寓意画」も必見なので、是非お見逃しなく。

シエナ大聖堂

世界遺産シエナ歴史地区の中心を飾り、 多色大理石とモザイクで装飾されたファサード(西正面)は、 イタリア最美といわれる。

大聖堂の内部は、白と黒の大理石の象嵌による横縞模様で、大変印象的である。フィレンツェに対抗して推進されたシエーナの芸術活動は、 ジョットやチマブーエとはまったく違うシエナ派と呼ばれる芸術を生み出した。

また、ミケランジェロ・ブオナローティやジャン・ロレンツォ・ベルニーニらルネサンス、バロックの芸術作品も安置され、 大聖堂そのものが宝庫であると言ってよい。

現在、大聖堂内のほとんどの彫刻はコピーで、オリジナルは大聖堂美術館に保管されている。

パリオ祭

Palio(パリオ)という、17のコントラーデの対抗競馬のお祭りが年二回、7月2日と8月16日にカンポ広場で行われる。 イタリア人の盛り上がりを想像しただけでも、すごそうで、 もしこの日程にシエナに行かれれば、先ずはチケットの獲得を試みてみましょう。
見るだけの価値は十分にある。

中世からの地区組織コントラーデ

イタリアでは住民の共同体意識がいまでも根ずいているといわれるが、シエナのコントラーデは有名。
当初の目的は、フィレンツェや近隣の敵からシエナを守るための武器の製造をしていたが、その役割も なくなり、地区住民の心の団結ともいえる組織に変貌している。

住人達のその絆を深めるのが、カンポ広場で行われるパリオという地区対抗の競馬です。 最高の名誉である優勝旗の獲得を目指して、レースに熱狂する様子には、 シエナの人々のコントラーダへの熱い思いが感じられる。

始めは59のコントラーデがあったが、現在は17でそれぞれ動物や象徴の名前がつけられている。

日本では地区の横割りの関係が希薄になっていると指摘されているが、 シエナのコントラーデの役割は中世からの長い伝統のもとで、本当に困ったとき、 「そこを何とか」と頼み込める存在となっているのだろう。

シエナへの行き方

空の玄関はフィレンツェ空港

  • シエナに最も近い空の玄関は、フィレンツェ空港
  • 夏は滑走路脇にひまわりが咲き乱れる、のどかな空港。
  • 日本からの場合、乗り継ぎはミラノ、ローマ、パリ(シャルル・ドゴール)、アムステルダム、フランクフルトなど。

フィレンツェ空港からシエナ行きバス

  • 空港からバス約25分のフィレンツェ・バスターミナルより出発(サンタマリア・ノヴェッラ駅隣)。
  • 急行バス=ラピダ Rapida に乗れば、トスカーナの雄大な風景を眺めながら僅か75分。
  • フィレンツェからは鉄道もあるが、アクセスが不便なのと、車窓景色の優劣を考慮すると、断然、バスがおすすめ。

ミラノ、ローマからシエナへの直通アクセス

  • ミラノからのシエナ市街行き直通バスは毎日数便
  • マルペンサ空港の玄関口ミラノ・カドルナ駅から4時間28分。
  • パダーニャ平原を走り、アペニン山脈を越えてトスカーナへと、 刻々と変わるシーンを楽しみながらの旅。
  • ローマからの直通バス
    ティブルティーナ Tiburtina バス・ターミナルから出発しています。
    (テルミニ駅から地下鉄B線 Rebibbia 方面へ4つ目。フィウミチーノ空港からは45分)。
    平日8本、休日9本運行。途中高速1号線 "アウトストラーダ・デル・ソーレ=太陽の道" を走ります。
  • ミラノ、ローマからシエナ行きの最新情報
  • ミラノ、ローマから、 トスカーナ・シエナの休日を楽しむには、シエナでの1泊をお勧めします。

クルマでのシエナ・ルートも快適

  • クルマでのアクセスはフィレンツェからが快適。
  • 空港からは高速A1号線チェルトーザ出口経由で、 自動車専用道路"スーペルストラーダ"フィレンツェ−シエナ Superstrada Firenze-Siena 線を使って1時間ちょっと。
  • ローマからは高速1号線をフィレンツェ方面に走り、 ヴァル・ディ・キアナVal di Chiana下車。国道326号線で北上。約3時間のドライブ。

カッシア街道を車で行く(ローマからシエナ)

  • ローマからシエナへは、国道2号線カッシア街道を100kmほど北に上がる。
  • 白ワインのエスト・エスト・エストの産地でもあるモンテフィアスコーネから、右の国道71号線をオルヴィエートへ。
  • ボルセーナ湖に沿って、50kmほど街道を行くと、 州もラツィオから大地の起伏と花々が美しいトスカーナへ。
  • トスカーナからシエナの町までは100km。
  • 丘陵地に広がる、モンテプルチアーノ、ピエンツア、モンタルチーノなど魅力的な田舎町を通っての快適なドライブが楽しめる。
  • 行動派シニアーにはレンタカーで廻るトスカーナの旅がお勧め。

列車ではローマからキウージ(Chiusi)またはグロセット(Groseto)経由で約3時間半、駅から市内まで徒歩15分ほどで市内に到着。


ローマから行く歴史散策(5) ひまわりの道

ローマの国道を行く歴史散歩

ローマ時代に市の中心から放射状に延びた街道は、国道として今も生きている。
ローマ市から放射状に伸びた国道(SS:Strada Statale)は、 市内からおよそ15kmの距離にある片側3車線の場所もある広い外環道 (Grande Raccord Anulare)によって、それぞれが完全に結ばれている。
ローマから行く日帰り歴史散歩では、以下のコースがお勧めです。

  1. SS1:アウレリア街道を行くエトルリア人の生者と死者の町
  2. SS2:カッシア街道を行く中空の町オルヴィエートチヴィタ
  3. SS8:海の街道を行く古代ローマのオスティアの遺跡
  4. SS3:フラミニア街道とその先にあるスポレートや近郊の町

フラミニア街道をスポレートへ

スポレート公国とは476年西ローマ帝国が滅亡して、 ゲルマン人の一部族であるランゴバルド族が570年に建国した国。
774年には、同じゲルマン人のフランク王国のカール大帝の征服によって滅亡した。

フラミニア街道は、紀元前220年ローマの将軍ガイウス・フラミニウスによって ローマからアドリア海のアンコーナまで建設された。
フラミニウスは、歴史上第二次ポエニ戦役のトラジメーノ(湖の名前)の戦いで、 カルタゴの将軍ハンニバルに破れ戦死したことで記録される。

車を利用する場合は、ローマ市内カンピドリオの丘を起点にする

コルソ通りをポポロ広場に向かい、ポポロ門からローマ市外に出て、 フラミニア街道を北にむかう。
ローマは盆地の底なので、道は坂を上っていく。
農村風景と森林地帯の中の坂道を65kmほど行くと、 エトルリアの町チヴィタ・カステラーナ(城の町)を過ぎる。
道はローマからフィレンツェに向かう高速道路AIを横切り、 ナルニア国物語で知られたナルニの町(ローマから100kmほど)を通り、 バレンタインデーの贈り物で有名になったテルニの町(ローマから120kmほど)を過ぎる。
ここから道は険しい峠越えだが、下った先には 黄色一面のひまわりの大地に浮かんだスポレートの町と、 丘の上の城塞とフラミニア街道にかかる水道橋が突然現れる。
ローマからスポレートまでおよそ150kmの道のり。

列車を利用する場合は、ローマテルミニ駅又はティブルティーナ駅から出発

スポレートまでは、 ナルニ・テルニを経由して普通列車で約1時間30分で到着。
30分〜40分間隔で運行している。駅から市街まで徒歩15分〜20分程度。

スポレートの主な見所

  • スポレートの丘のひまわり畑
    6月下旬から7月初旬にかけてのスポレートの丘の美しいひまわり畑。
    町の外のフラミニア街道に足を運び、スポレートの町と城塞と水道橋全体をキャッチしたい。
  • 聖ピエトロ教会
    419年、聖ピエトロの遺物を納めるために建てられたもので、 12世紀に再建されロマネスク様式のファザードが加えられた。 バラ窓の下には3つに入口があり、それぞれレリーフが美しい。
    スポレートの丘の近くにある。
  • アルボルノチアーナ城塞
    町の象徴のように目立っているアルボルノチアーナ城塞は、 14世紀中ごろに建てられ、1800年から20世紀後半まで留置場として利用された。
    旧市街のやや急な坂道を登って城塞にたどりつくと茶屋があり、 そこで美しい景色を眺めながら一息いれるのもお薦め。
  • 水道橋
    橋は長さ230m、高さ76mで、城壁と反対側のモンテルーコの丘との間を結んでいる。 写真スポットは、橋の中央の穴から顔を出して公園からカメラをクリック。
  • ローマ劇場跡
    紀元2世紀に造られ、東ゴート支配時には要塞として、 中世には商店街として使われた。
  • ドゥオモ(サンタ・マリア・アスンタ教会)
    1175年に建築が始まり、1227年に完成した。
    教会は他の町と違っていきなり広場には出ない。 旧市街の細い道を登っていくと、教会と広場が劇場全体のようにパノラミック に見渡すことが出来る小高いポイントに出る。
    そこから見る塔とバラ窓の美しさに加え、教会内部には、 この地で没したルネッサンスの有名な画家フィリッポ・リッピの墓や アッシジの聖フランチェスコの書簡も所蔵されている。
    教会見学後は、広場手前のバールや土産店にも立ち寄ってみたい。
  • マルモレの滝
    スポレート手前の町テルニから、ローカルバスで17分ほどで、 ヨーロッパ随一の滝マルモレの滝に到着する。
    上流のピエディルーコ湖から落ちる滝は高さ162m(華厳の滝は92m)で3段の瀑布。
    画家コローや詩人バイロンも訪れたことがあるという。
    ローマ人が麓の農地に水を供給するために、上流の湖に水路と堰を造ったとのこと。
    日時によって滝が落ちる時間帯があるので確認の上いくこと。 テルニから滝までは8kmほどで、テルニからのバスは日に3本ほど、 列車は15分ほどで2時間おき程度の交通手段がある。(季節、日時により変わることもある。)
    テルニからタクシー利用の場合は、道路を滝の上まであがり、 10分ほど土産屋の通りを歩くと滝の上の展望台に行く事もできる。

ローマから行く歴史散策(4)「生者と死者の町エトルリア」

ヨーロッパは歴史・芸術・世界遺産など見所が大変豊富。
そのため、どうしても盛りだくさんの駆け足ツアーになりがちで、 本当のヨーロッパの奥深さを味わうことができません。 女性やシニア向けのヨーロッパ旅行のポイントは、 滞在型のゆったり旅行です。

特に、多くの文化遺産に囲まれたイタリアのローマは、 いくら滞在しても見所が尽きない、世界一の旅行地です。

ローマから一日で行く、謎の民族エトルリアの遺跡

エトルリアは、ローマ帝国以前に中部イタリアを支配した民族で、 その起源はいまだに判明しない、謎の民族と呼ばれている。 こんなロマンをかきたてる民族の遺跡が、ローマから北西僅か40kmの場所にある。 エトルリアは紀元前6世紀頃から、生者の町と死者の町に分けられていて、 ローマ近郊のこの場所では、その両方を手軽に一度に見学できる。

謎の民族エトルリアの生者の町(ピルジ遺跡)

  • エトルリアの町
    ローマから北西40kmのティレニア海に面した海岸には、 紀元前7〜6世紀から3世紀ごろまで、 エトルリアの港町ピルジ(塔の意味)の町があった。 港町の広さは神殿を中心に10エーカー(約4千屐砲曚匹如 フェニキアや地中海の国と交易をしていた。 当時、この港町から内陸に入ったバンディタッチャ高原のエトルリアの町 カイレー(現チェルヴェ-テリ)までは、延長13km、幅10mの道路で結ばれ、 町と町はネットワークされていた。
  • エトルリア港町ピルジの遺跡
    エトルリア港町ピルジの遺跡は、動物の生贄を神に捧げる2つの神殿の聖域だが、建物は発掘されて いない。
    近くでレストランを経営している郷土史家の話では、海の中を掘れば立派な遺跡が発見されるとのこと。 ピルジの全容は、この地に中世に建てられたサンタ・セベーラ城内の小さな博物館にある模型で知ることが できるので是非立ち寄ってみたい。
  • サンタ・セベーラ城
    エトルリア港町ピルジは、その後はローマの植民地として栄え、 1400年代には現在のサンタ・セベーラ城が建てられた。
    城の見所は入口から入って一番奥の、城のなかで最も古いサラセンタワーとよばれる円筒状の塔。
    記録では11世紀から12世紀のころのものだが、海上を行きかう船の監視、特に15世紀から18世紀にはサラセンの船の監視をしていた。
    入口で入場券を買って高さ20mの塔に昇ると、生者の町ピルジの遺跡の全景と真っ青なティレニア海(エトルリアの海)が広がる。
    古代エトルリア人、フェニキア人はこの海で活躍していた。
    城の中庭にあるバプティスト教会の祭壇には,、 15世紀ルネッサンスの画家アントニアッツォ・ロマーノが若い時 に描いた聖母子のフレスコ画があるので、是非足を運びたい。
  • エトルリア・ピルジの遺跡への行きかた
    ローマからピルジ遺跡(現サンタ・セベーラ)へは、 地下鉄A線コルネリア駅よりコトラル社のバス(30分おき) で国道1号線SS1を走り約1時間でサンタ・セベーラに到着。
    バスが国道沿いに停車するので、サンタ・ セベーラ城までは一本道のカステッロ通りを1kmほど歩く。
    国道1号線はアウレリア(シーザーの母の名)街道と呼ばれ、北イタリアのピサ、ジェノヴァまで続いている。

エトルリアの生者の町(チェルヴェーテリ)

  • サンタ・セベーラ城から内陸のエトルリアの町があるあるチェリヴェーテリまでは、コトラル社のバスで ラディスポリ(ローマ時代から海水浴場で有名)経由で30分で到着。
    15世紀に建てられたルスポリ城内の 考古学博物館を訪れ、墓からの出土品、エトルリアの製品、ギリシャ、エジプトの製品などをみると、 その技術に驚かされるだろう。
  • チェリヴェーテリは、紀元前6世紀ごろのエトルリア時代はカイレーと呼ばれ内陸の中心地だった。
    海岸地帯のピルジやアルシウム、内陸のエトルリアの町の間には、星型の道路ネットワークが整備されていた。
    ここにはエトルリア人とギリシャ人の作業場があり、壷や装飾品が生産され、国内のみならずローマとも交易があったとのこと。

エトルリアの死者の町(バンディタッチャのネクロポリス)

チェルヴェートリから凝灰岩を削ってバンディチャッタのネクロポリス(死者の町)に道が続く(Via degli Inferi)。 ここは地中海世界で最も大きいネクロポリスで世界遺産に指定されている。
バンディチャッタの名前の由来は、生者の町チェリヴェートリから場所を借りるとのことであるらしい。

死者の町の墓は紀元前9世紀の鉄器時代から紀元前3世紀のエトルリア人まで。全体の1部分10haの 場所が見学可能で、1000基の墓が取り囲んでいる。エトルリア時代の墓の形は、盛土(マウンド)タイプと 立方体(ダイス〕の2種類。後者はモンティ・チェリティ通り(Monti Ceriti)とモンティ・デッラ・トルファ通り(Monti della Torfa)の2本の道に沿って造られている。

入口を入って100mほど進んだ左手奥には鉄器時代の墓がある。
一番の見所はおなじく300mほど行った左手にある紀元前4世紀のレリーフの墓(Tomb of the Reliefs)と呼ばれているマウンドタイプの墓。
内部はフレスコ画や同時代の生活用具を現す彫刻や低いレリーフに飾られている。
夕方、チェリヴェートリをコトラル社のバスで発ち、 アウレリア街道を1時間10分でローマ・コルネリアに到着。


ローマからの小旅行(3) 忘れられた古代ローマの都市オスティア・アンティカ

古代ローマの遺跡といえば、すぐポンペイの遺跡が思いだされる。

風光明媚なナポリ・サンタルチア港とその東に聳えるベスビオ火山の麓に栄えた都市が、 紀元79年の大噴火で消滅したドラマの軌跡はどうしても旅行者を誘う。

しかし首都ローマのすぐ傍にも古代ローマ遺跡がある。
忘れられた都市オスティア・アンティカ(古代オスティア)は、 ポンペイほど華やかなドラマの軌跡はないが、古代ローマの文化に触れるには充分な場所だ。

飛行機でローマを発つとき、レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港から海方向に離陸するので、 機内より左下テヴェレ川の河口付近にオスティア・アンティカの遺跡が見える。

オスティア・アンティカ(古代オスティア)の見所



  • 古代ローマの港町の姿
    昔オスティアはローマより30km離れ、テヴェレ河口で海に面していたが、 中世から19世紀の間の沈泥により、現在は海岸線より3kmほど内陸に後退している。
    オスティアとはラテン語で口という意味で一時期古代ローマの外港として栄えた。
    植民地から集まってくる品物はホッレアと呼ばれる倉庫に保管され、 牛に引かれた船でローマに運ばれた。
    紀元2世紀ごろには商業都市として人口が10万人に達したとも言われる。 しかしだんだん浅瀬になる船着場はその機能を失い、 現在の空港近くに作られたの新しい港ポルタスなどにその地位を奪われていった。
  • ローマ門
    オスティア・アンティカ駅からくると、 オスティアの3つの門のひとつで正門のローマ門(ローマに面している門)に出会う。 門は崩れているがここからオスティアの中にのびている 石畳の広い主道路(デクマーノ・マッシモ)を歩いて 古代オスティアの町に入っていく。 門を入って直ぐ左のヴィットリア広場にはミネルヴァの大理石像が、門の前にはネクロポリスと呼ばれる紀元前の墓跡も見られる。
  • ネプチューンの浴場
    ローマ門をくぐり、古代ローマの石畳を200mほど歩くと、 右側にネプチューンの浴場にでる。
    海神が4頭の馬に引かれた戦車に乗っているなど、 美しいモザイクが見られる。浴場の裏手には消防士の宿舎と呼ばれる遺跡がある。
  • 円形劇場(Amphitheater)
    浴場から50mほど先の右側には、ローマ遺跡で御馴染みの円形劇場(Amphitheater)がある。 紀元前18年〜12年にアウグストゥス帝の右腕アグリッパにより造られた。
    収容人員は3,500名とも言われ、座席の前の方は富裕層が、急な階段の上は庶民が座った。 劇場の石の座席にしばし座り古代ローマの香りを味わってみたい。 現在夏には古典劇も演じられている。
  • 浴場の裏手の共同組合広場
    中世のギルド組織とは異なるが、 社会奉仕も兼ねた非強制の商業組織があった。 広場には柱廊式の玄関をもった64の海上貿易会社の事務所があったといわれる。
    かれらは魚、小麦、砂糖、塩、皮、毛皮、木材、など様々な品物を扱っていた。 各家の前の地面に描かれたはモザイクで当時の会社が何を商売としていたかを知ることができる。
  • 小麦などを貯蔵した大穀物貯蔵庫(ホッレア)は50mほど先。
  • 現代共同住宅の元祖ともいうべき2階建て住宅の遺跡ディアナの家
    バルコニー付きの家も見られる。 住居遺跡はポンペイよりも圧巻。家の前には居酒屋の遺跡が見られる。
  • 通りの右側には続いてオスティアの中心カピトリウムの大きな建物が見える。
    ジュピター・ジュノー・ミネルヴァの3神に捧げられた神殿は紀元120年ごろ立てられた。
    階段を上がった神殿からはオスティアの遺跡の全体を眺めることができる。
  • カピトリウムの前の町の中心の公共広場(フォロ)
    広場の両側には大理石の柱が数本のこっている。
    広場の神殿と反対側にはローマとアウグストゥスの神殿の遺跡がある。

オスティア・アンティカへの行き方

  • ローマ市内から
    テルミネ(市内)から地下鉄B線で8番目のマリアーナ(Magliana)駅下車。
    トレニーノ(ローカル線)のオスティアーリド線に乗り換えて、 5番目のオスティア・アンティカ駅で下車(約20分)。
    陸橋を渡り直進、徒歩数分。
    トレニーノは往復路共、平日昼間は10分〜15分間隔、休日は30分間隔で運行。

    オスティア・アンティカの次の駅リド(海岸)・オスティア駅で降りると、海岸線までは徒歩10分程度でいける。
    ティレニア海に面したこの海岸はローマ子の海水浴場として人気がある。 海岸線の真ん中は殆どプライベートで入場料が必要。 公衆海水浴場は少しはずれたところにある。 因みにオスティア海岸に元旦の初日の出を見に行った。 さぞかし人が多いと思ったが、 イタリア人には初日の出を観る習慣がなく、ガランとしていた。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港からオスティア・アンティカへ
    レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港からコトラル社のバスでオスティア・リド駅まで35分。
    オスティア・リド駅よりオスティア・アンティカ駅へ。
    *季節、曜日により運行日と時間が変わる場合があります。

ローマ観光のお勧め小旅行(2) 天空の町オルヴィエートとチヴィタ

オルヴィエート(Orvieto)

太陽道路A1をローマから1時間30分ほど車で走ると、 窓の左側の中空に3百数十mほどの岩山が聳え、 その上にへばりついた町が見えてくる。 泥と砂の大地が長い間の風雨と地震によって削り取られ 今のような地形になったイタリアの中でもユニークな町のひとつオルヴィエートだ。

ローマ・テルミニ駅08時55分発長距離特急インターシティ(IC)ヴェスビオに乗ると わずか1時間09時55分にはオルヴィエート駅に到着、 山上の町までは登山電車(10分毎、休日15分毎)で簡単にいくことができる。

到着したら駅から右に歩き、広場からの展望を楽しみ、サン・パトリツィオの井戸を見学したい。 町の水を確保確保するための井戸は直径13メートル深さ62mの丸井戸で 現在も250段ほどの階段(昇り降り別ルート)で見学できる。

そもそもオルヴィエートは、紀元前8〜9世紀に ローマ前のイタリア半島都市国家を作っていた謎の民族エトルリア人が居住、紀元前6世紀には陶器と銅の生産で町は発展した。 町の北にはエトルリアの墓跡が残っている。

その後は西ゴート族のアラーリック、西ローマ帝国の傭兵オドアケル、 ロンゴバルドのアジルルフォ神聖ローマ皇帝オットー3世の支配と時代が移り、11世紀には自治都市となった。 1281年〜1284年にはフランス人の教皇マルティネス4世が オリヴィエートに居を構えたこともある。

広場からの展望と井戸を見学したら、登山電車駅前をとおり ポスティエリタ通り1kmほど歩いて町の中心のドゥオモ広場に向かう。 広場の正面にはドゥオモ、右には教皇の宮殿の建物がある。

ドゥオモ(大聖堂)は1290年に、当初はロマネスク様式の建築で始まり、 14世紀中ごろゴシック様式で完成したイタリアでも最も美しい教会のひとつ。

美しい正面外壁、バラ窓、右側の柱に彫られたキリスト昇天のレリーフ、 内部の聖母礼拝堂のルネッサンスの画家ルカ・シニョレリのフレスコ画「最後の晩餐」が見もの。 大聖堂見学の後は、広場の周りに集まっている土産物屋でも覗いて 細い道をポポロ広場に向かい、市民軍事組織隊長邸を見て、 カブール通りを登山電車の駅前広場に戻る。

広場脇のグランドホテル・イタリア(3つ星)で軽食と 名物オルヴィエートの白ワイン(オルヴィエート・クラシコ)を飲んで休憩もお薦め。


09時55分鉄道駅到着から3時間ほどオルヴィエートの町を楽しみ、 登山電車駅前広場(コヘン広場)から12時45分発のバスでおよそ1時間山道を走り、オルヴィエートの南にあるもう一つの中空の町チヴィタ(Civita)に向かう。

レンターカーの場合は、ローマから太陽道路A1でオルヴィエートへ。 一般道をオルヴィエートの町まで上がる。 登山電車駅前広場やドゥオモ脇に公共駐車場がある。 帰りは反対側のSS71の曲がりくねった昇り坂の途中まで走ってみる。
ここから見るオリヴィエートの町が一番美しい。



チヴィタ(Civita)

オルヴィエートを出発したバスはしばらくAIに沿って南に走り、 畑道に右折、10kmほど走ると突然山道に入る。 13時35分ルブリアーノの町に到着。

目指すチヴィタの町の孤塁は、左の谷の中だがバスからは全貌は見えない。 13時40分チヴィタへの入口バーニョレッジョ(Bagnoregio)の町に到着。 左に折れて町を1kmほど歩くとCivitaのサインがでているので右折、 すぐ左に曲がってスロープを降りると目の前に谷の真ん中に異色の町チヴィタの孤塁が見える。

昔はトルビード川の渓谷の上の町として、 今歩いてきたバーニョレッジョの町と繋がっていたが、 砂と泥の地質が長い間の風雨により削り取られ、 1695年の地震により町は切り離され谷に取り残された。

しかしチヴィタの町は古代には通商道にあたり、 2500年前にはエトルリア人の町として栄えていたようだ。 町を北から南に貫通していたエトルリア時代の道跡やエトルリア時代の墓と推定される 聖ボナヴェントゥーラの洞窟などが見学できる。

聖ボナヴェントゥーラは1221年にチヴィタで生まれた。 伝説によれば彼はこの洞窟でアッシジの聖フランチェスコにより 死にいたる病を治してもらったといわれている。

今新しい橋によって町に行くことができるが、この昇りが相当きつい。 やっと町の入口聖マリア門に到着すると門の上の2つのライオンの彫刻は、 オルヴィエートの強力な貴族で教皇派のモナルデスキ家の砦を破壊して 支配から勝利した記念に造られたもの。 オルヴィエートとチヴィタは境界線紛争が絶えなかったようだ。 チヴィタの町は1時間の滞在で充分堪能できる。

チヴィタからローマへ

帰途は14時50分バーニュレッジョ発のバスでカッシア街道をヴィテルボへ向かう。 15時55分ヴィテルボ着。

途中右の山の上に大きな円蓋の教会が見えるが、 ラツイオ州の白ワイン「エスト・エスト・エスト」で有名なモンテフィアスコーネの町。 ヴィテルボ16時57分発の普通列車でローマトラステヴェレ駅に18時50分着。


ローマ観光のお勧め小旅行(1) スビアコ

ローマから行くチャーミングな町 スビアコの岩壁修道院

イタリア半島の中央に位置する永遠の都ローマ。

古代ローマ帝国の遺跡と現代が共存している、 世界でも最も魅力ある都市といえる。
このローマから日帰りでも行くことができるチャーミングな観光地を紹介しよう。

イタリア旅行の募集の殆どは、コストダウンによる安価な商品造りの成果として、
 ★ ミラノ ⇒ ヴェネチア
 ★ ヴェネチア ⇒ フィレンツエーローマ(ナポリ・オプション)
を8日間程で忙しく移動するものだが、
シニアーのためのツアーは、1都市にゆったり滞在してその国の生活、文化、芸術を紹介する 少しハイクラスな旅も支持されるのではないかと思う。

リピータのシニア旅行層には、是非、本当の意味でのローマが味わえるこのような場所を、 ローマ観光に入れてほしい。

ローマへの日帰り個人ツアー

修道院の元祖、聖ベネディクトゥスにこだわるローマ小旅行

ローマの喧騒から隔絶された静寂の中の一時は、イタリア旅行の永遠の思い出になるだろう。

スビアコ(Subiaco)の岩壁修道院(聖ベネディクトゥス修道院

修道院はヌルシア出身のベネディクトゥスが529年少数の弟子と共に イタリアのモンテ・カシーノに修道院を建てたことに始まるが、 実はその前にここスビアコで修行をしている。

スビアコはローマから東におよそ90km、シンブルイーニ山地とアニエネ川の谷間の田舎町。
その奥の右岸に岩壁に張り付くような聖ベネディクトゥスゆかりの修道院がある。

特に見所は、聖ベネディクトが3年間にわたり、 食料も屋外から洞窟の中へロープでつるされる隠遁生活を送った修道院下段の洞窟。
聖なる洞窟はイタリア語で「サクロ・スペッコ(Sacro Speco)」、 英語では「グロット オブ プレイヤーズ(Grotto of Prayers)」と呼ばれ、 ベルニーニの弟子アントニオ・ラッギ作の十字架を凝視し、胸に手を当てた 若き日の聖ベネディクトゥスの彫刻が飾られている。

聖ベネディクトが修行した最初の修道院は聖クレメンテと呼ばれたが、 その後彼をしたって12の修道院が建てられた。
9世紀には数回のサラセンの侵略と破壊にあったが、ローマ法王グレゴリー4世によって再建され、 レオ5世は修道院を完全な形にした。

スビアコの聖スコラスティカ修道院

スビアコの町から3kmほど、聖ベネディクトの修道院に行く道の右側にある 聖スコラスティカ修道院も見学可。

聖スコラスティカは聖ベネディクトと双子の妹といわれる。
修道院は皇帝ネロの湖があった場所に建てられ、12の修道院のうち地震やサラセンの侵略にも耐え、 今日まで残っている。当初は聖シルベスターと呼ばれ、16世紀に今日の名前になった。
11世紀の始めフンボルト修道院長の時代の鐘楼が美しい。

ローマ観光小旅行:スビアコへの行き方

ルート1:北回り:バス利用

聖ベネディクト修道院(15時〜18時)、 聖スコラティスカ修道院(15時30分〜19時)の見学時間に合わせて

  • ローマ市内テルミニから地下鉄B線で9番目のポンテ・マンモーロ(Ponte Mammolo)駅で下車。
  • コトラル(Cotral)社のバスに乗り換え高速道路A24号線を東に走り、
  • マンデラのジャンクションで州道411号線に入り、20kmほどでスビアコ(ローマ広場〕到着
  • <往路>ポンテ・マンモーロ発13時15分/スビアコ着14時30分。スビアコの町から往復1時間半、 現地1時間。
  • <帰路>スビアコ発17時/ポンテ・マンモーロ着18時15分
ルート2:南回り:列車とバス利用

乗換地のフィウッジは飲む温泉地として世界的に有名。 バスと列車の待ち時間の間にコップで温泉を飲むこともできるコース。

  • <往路>ローマ・テルミニ駅12時47分発/フィウッジ着13時39分。
  • コトラル社のバスに乗り換え州道411号線を北回りと逆方向からスビアコへ。
  • フィウッジ発14時20分/スビアコ着15時30分。 
  • <帰路>スビアコ発18時30分/フィウッジ着19時40分のバスで駅に移動。
  • フィウッジ発20時32分/ローマ着21時42分の列車で帰着。

*季節、曜日により運行日と時間が変わる場合があります。

コラム:旅行会社の責任

ローマのサッカー(Calcio:カルチョ)チームに、ラツイォとローマの2つのチームがある。
このチームがローマのスタジアムで試合する日は、会社内もフアンが2分され、朝からサッカーの話で 仕事が進まない。
飛行場のポーターなども、その日は頭がサッカーのことで一杯で、荷物のことなど余り気にかけない。
その日にはロストバッゲージ(機内に預けた荷物が予定空港に出てこないこと)が多いのだそうだ。
ところでいつのころからか、ロストバッゲージも旅行会社の責任になっている。 理由はロストバゲージをするような航空会社を選んだのが悪いとのこと。
トレビの泉ではスリが大変多いが、そこで財布を取られと、そういう危ない 場所に連れて行った旅行業者が悪いと言われるそうだ。

ローマへの個人ツアー
フリープランでローマの穴場を巡る旅


シニアのヨーロッパ旅行記(17)【イタリア・ドロミテ(1)】

大自然に囲まれた名所【ドロミテ】

ドロミテとオーストリア・ドイツの旅

ヨーロッパ最後の秘境と言われる北イタリアのドロミテ渓谷。
ヨーロッパで最も美しい景色のひとつのドロミテ山塊は、雨が大地を破壊した芸術品。街道を走ると、これでもかと奇岩が次々に現れる。まるで大自然のテーマパーク。
「クリフハンガー」の撮影地、そして猪谷千春選手が銀メダルを取ったスキー場です。

ドロミテ(Dolomite)はオーストリアのアルプスの間にある、箱庭のような渓谷美。 ドロミテの名前はここを探検したフランスの地質学者ドロミューに因む。
アンモナイトや貝の化石が発見されるので、2〜3億年前に海底に堆積した石灰質岩 (ドロマイト)プレートテクトニクス(造山運動や地震のメカニック)の結果隆起したものだとわかる。
岩壁は長年の風水の侵食と破壊にさらされて、今私たちに美しい姿を見せている。
ヴェネチアの北約200kmにあるコルティナ・ダンペッツォがドロミテ街道の東の玄関口。
西はボルツァノから。
ドロミテ街道に沿った見所の峠(Passo)には山小屋風の休憩所や食事場所がある。
そこからケーブルカー(Funivia)やスキーリフトで岩壁の頂上をめがけて一気に上る。
これがまた気持ちいい。
頂上ではハイキングコースが整備されているところもある。
ドロミテ渓谷の岩壁は、どれも個性的な形をしていて飽きない。
カメラで撮影してみても、いい思い出になるだろう。
大自然に囲まれたドロミテはアクティブシニアの旅として絶対おすすめ。
日本発のツアーは滅多にないので、レンタカーを借りて心行くまで楽しみたい場所だ。


ドロミテ渓谷へ出発

ヴェネチアから車でドロミテへ出発。
ソットカステッロ(Sottocastello)で道が左右に分かれるが、最後は山道になり、眺めの良い右に折れる。
道順にあるカテリーナ(Caterina)湖が見渡せるレストランで休憩。
ドロミテに到着したら、最初に道順にあるミズリーナ(Mizurina)湖に行ってみたい。
山に囲まれた湖の周りは、静かで大変清々しい1時間ほどの散策コースもある。
湖から車で15分ほど奥にある、いまにも崩れそうな超巨大な3本の岩壁トレ・チェーメ(Tre Cheme)には驚きの一言。

ドロミテ街道の玄関口【コルティナ ダンペッツォ】

ドロミテ街道の東の玄関コルティナ ダンペッツォは、1956年の冬季オリンピックの開催地として国際的に有名になった観光地であり、ヴェネチアとオーストリアのインスブルックを結ぶ要衝でもある。
ボイテ川沿いに細長く伸びた町の中心は、イタリア通り(Corso Italia)とイタリア広場((Piazza Italia)でホテル、レストラン、土産店が並んでいる。といってもゆっくり歩いても15分程の町並み。
通りの終点には18世紀の聖フィリッポ・ジャコモ教会、19世紀の修道院、アルペン記念碑などがある。

ドロミテのスキー場【クリスタッロ】

クリスタッロ(Cristallo)は トンバ選手の最初の練習場でもあったスキー場で有名。
夏でもスキー用リフトを乗り継ぎ、2,896mにあるロレンチ(Lorenzi)避難小屋まで上ることができる。
コルティナ ダンペッツォの町から車で10分ほどで最初のリフトの乗り口、1,680mにあるリオ ゲーレ(Rio Gere)に到着。
ここはレストランになっているので立ち寄りたい。
そこからゴンドラ式リフトに乗って2,215mにあるソン フォルカ(Son Forca)の山小屋に上る。
山小屋は7月から9月までオープンされ27人まで宿泊可能。
そこから今度は二人乗りのリフトに乗り換え。
次の駅までの移動距離は100mほどだが、高地のため息が切れるので注意。
今度は30分以上も二人乗りのリフトにのってロレンチに向かう。
もちろん景色は抜群だ。

ドロミテ/クリックするとGoogleMapを表示します

ドロミテの岩壁

クリスタッロに向かうケーブル


必ず帰りのケーブル時間をチェック!

上る前に、ケーブルカーやリフトの下り最終時間を必ず確認すること。 突然止まります。
また昼の休憩時間の確認要。
降りる時間が昼休みと重なると、ケーブルカーが突然止まります。
それも2時間ほどですので注意。
万一それに当たった場合は、最悪歩いて下山ということになります。


★岩壁に上ってみよう★

バスターミナル脇からフニヴィアで冬季オリンピックでスキー競技が行われた2,123mのファロリア(Faloria)の岩壁に上る。
ここからは眼下にコルティナ ダンペッツォとドロミテ街道、眼前には3,243mを主峰とするトフアーネ(Tofane)の雄大な山塊、右手遠くに3,216mのクリスタッロ(Cristallo)が見える壮大な景色が素晴らしい。
フロリアへは道路もあるが、途中から未舗装の山道でジープなどでないと登りきる事ができないので注意。


トファーネの岩壁


コルティナ・ダンペッツォ/クリックするとGoogleMapを表示します

コルティナ近郊の山々


★ドロミテ、コルティナエリアのホテル★

ホテルアンコーラ

コルティナダンペッツォ/クリックするとGoogleMapを表示します



シニアのヨーロッパ旅行記(18)【イタリア・ドロミテ(2)】

アクティブシニアのイタリア紀行
【ドロミテ(Dolomite)街道2-絶景の岩壁-】


コルティナ ダンペッツォから曲がりくねった峠を越え、絶景の岩壁がそびえる ドロミテ街道に分け入る。
途中峠(Passo)から岩壁に上り、起伏の少ない道を大パノラマを眺めながら散策するのがアクティブシニアの旅だ。
防寒具、簡単な食料、底の厚い運動靴など、比較的軽装備で廻れる場所も沢山あるので心配はない。
海抜1,224mのコルティナ ダンペッツォを出発して間もなく、左手山の上に5つの奇岩(Cinque Torri)が見える。
そこを過ぎると、最初の峠Passo Falzarego(2,105m)に到着する。
目の前にはTofane(トファーネ)の3,200m級の岩壁群が迫っている。
ここから街道を進むと、ドロミテ最高峰の3,342mの主峰PeniaをいただくMarmolada(マルモラーダ)の大山塊がみえる。
この山塊を迂回して北と南に道が2つに分かれるが、北の街道を行く。
コルティナ・ダンッペッツォ/クリックするとGoogleMapを表示します

ポルドイの岩壁



ドロミテのケーブルカーに乗りハイキングへ

ドロミテ/クリックするとGoogleMapを表示します 広大な自然の中のハイキング
北の街道を行くと、3億年前には海の底にあったドロミテで最も美しい姿のPordoi(ポルドイ)の岩壁が見える。
2,239m のポルドイ峠(Passo Pordoi)に車を置き、目の前の2,950mのポルドイ岩壁(Sasso Pordoi)まで65人乗りのケーブルカーで上がる。
所要時間4分で、山頂のマリア避難小屋(Rifugio Maria)に到着。
そこで一息入れた後、ドロミテの絶景を見ながらのハイキングに向かいたい(5月〜10月)。
おすすめのハイキングコースは、2,950mのケーブルカーの駅(マリア避難小屋)を出発して〜2,829mのフォルセラ避難小屋へ、そこから尾根伝いに3,152mのボー山頂(Pizzo Boe)へ向かう。
ここからケーブルカーの駅(マリア避難小屋)へ戻ると、往復3時間のコース。
ボー山頂(Pizzo Boe)からその先のジェラート湖まで30分。
そこで折り返して戻ると4時間コースとなる。
後はケーブルカーで再びポルドイ峠までおりる。


ポルドイ峠(Passo Pordoi)から西南に向かって、大きなファッサ渓谷(Val di Fassa)が走っている。
渓谷にはCanazei(1,460m)、Campitello(1,440m)、Mazzin(1,370m)、Pozza di Fassa(1,320m)、Soraga(1,210m) Moena(1,200m)の町が順に渓谷の斜面を下って点在する。
そこから両脇の岩壁にケーブルカーやリフトで上がる。
ポルドイ岩壁と同じように、ハイキングを楽しむことができる。
これらの町には旅行者用のインフォーメンションセンターがある。
そこでハイキングコースのマップを手にいれることができる。
お得な乗物券(Panorama Pass 7日以内で32ユーロ)も販売している。
Canazeiから北西に上がったところにあるセラ峠(Passo Sera)も見逃せない。
ここでは岩壁のパノラマを楽しみながら、草原に寝そべってしばしの休眠をとるのがおすすめ。

セラ峠




ドロミテ街道から再び【ヴェネチアとヴェローナ】へ

ヴェローナ/クリックするとGoogleMapを表示します

ヴェローナの街並み

ドロミテ街道も終点のボルツアーノ(Bolzano)に向かう。
アディジェ渓谷を高速道路で トレント(Trento)を経由して
ヴェローナ(Verona)まで南下。
出発地のヴェネチアに戻る。
ヴェローナは、川が大きく蛇行した湾曲部にできた町。


ドロミテ街道を訪ねるヴェネチア滞在型ツアー

2007年5月30日出発の限定ツアーがある。
希少価値なので早めの問合せをお勧めする。

ヴェネチア近辺のホテルに宿泊する

ドロミテ街道に出発するヴェネチア滞在型のパッケージはあまりないので、普通は、個人でホテルを 予約しなければならない。
ヴェネチアのホテルの位置は、本島の中心のサンマルコ広場の海側が部屋数も多い高級ホテル、広場周辺は少ない部屋数のホテルが多い。
本島でも駅周辺サンマルコ広場付近のホテルより安価。
そこで、いくつかピックアップしたおすすめの宿泊先を紹介する。
ヴェネチアのGoogleMapは コチラです。
  • リアルト
    本島の大運河が湾曲するあたり。
    水の都ヴェネチアの雰囲気が残り、広場にも、駅にも便利なホテル。
  • アレクサンダー
    島の反対側のメストレ地区の駅前にあるホテル。
    お手ごろな価格で宿泊できます。
  • アントニー
    すっきりとした内装がとても綺麗です。
  • ヴィラ マバパ
    リド島にあるホテル。
    海に出てリゾート気分を味わいたい方におすすめです。



★コラム★
ヴェローナと同じように、川の湾曲部にある美しい町はすべて
世界遺産に登録されています。

世界遺産の都市 国名 流れている川
ヴェローナ イタリア アディジェ川
トレド スペイン タホ川
チェスキー・クロムロフ チェコ ヴルタヴァ川
ベルン スイス アーレ川
ルクセンブルグ ルクセンブルグ アルセット川