JTB, HIS, KNT, NTR, 阪急交通 大手旅行会社のヨーロッパツアー情報、詳細比較、クチコミ情報。最新情報をネットから収集しています。


ヨーロッパ旅行情報|プロが集めたヨーロッパツアー比較情報




イタリア・ドロミテ山塊

 
Google Map

当ヨーロッパ旅行選科では、各ブログの写真をクリックするとGoogleMap を表示することができます。
世界遺産などもピンポイントで空から見ることが出来ます。
地図をクリックしてドラッグすれば、瞬時に、隣接領域に移動することができます。
また衛星写真や航空写真で表示することもできます。
[デュアル] モードでは、生の航空写真と主要道路地図を同時に表示できます。
空からの世界遺産の眺めをゆっくり楽しんでください。
もう気分はヨーロッパ旅行者です♪

Google
Web
euro.navi-club.jp
PROFILE
Add to Google
My Yahoo!に追加

 

ローマから行く歴史散策(4)「生者と死者の町エトルリア」

ヨーロッパは歴史・芸術・世界遺産など見所が大変豊富。
そのため、どうしても盛りだくさんの駆け足ツアーになりがちで、 本当のヨーロッパの奥深さを味わうことができません。 女性やシニア向けのヨーロッパ旅行のポイントは、 滞在型のゆったり旅行です。

特に、多くの文化遺産に囲まれたイタリアのローマは、 いくら滞在しても見所が尽きない、世界一の旅行地です。

ローマから一日で行く、謎の民族エトルリアの遺跡

エトルリアは、ローマ帝国以前に中部イタリアを支配した民族で、 その起源はいまだに判明しない、謎の民族と呼ばれている。 こんなロマンをかきたてる民族の遺跡が、ローマから北西僅か40kmの場所にある。 エトルリアは紀元前6世紀頃から、生者の町と死者の町に分けられていて、 ローマ近郊のこの場所では、その両方を手軽に一度に見学できる。

謎の民族エトルリアの生者の町(ピルジ遺跡)

  • エトルリアの町
    ローマから北西40kmのティレニア海に面した海岸には、 紀元前7〜6世紀から3世紀ごろまで、 エトルリアの港町ピルジ(塔の意味)の町があった。 港町の広さは神殿を中心に10エーカー(約4千屐砲曚匹如 フェニキアや地中海の国と交易をしていた。 当時、この港町から内陸に入ったバンディタッチャ高原のエトルリアの町 カイレー(現チェルヴェ-テリ)までは、延長13km、幅10mの道路で結ばれ、 町と町はネットワークされていた。
  • エトルリア港町ピルジの遺跡
    エトルリア港町ピルジの遺跡は、動物の生贄を神に捧げる2つの神殿の聖域だが、建物は発掘されて いない。
    近くでレストランを経営している郷土史家の話では、海の中を掘れば立派な遺跡が発見されるとのこと。 ピルジの全容は、この地に中世に建てられたサンタ・セベーラ城内の小さな博物館にある模型で知ることが できるので是非立ち寄ってみたい。
  • サンタ・セベーラ城
    エトルリア港町ピルジは、その後はローマの植民地として栄え、 1400年代には現在のサンタ・セベーラ城が建てられた。
    城の見所は入口から入って一番奥の、城のなかで最も古いサラセンタワーとよばれる円筒状の塔。
    記録では11世紀から12世紀のころのものだが、海上を行きかう船の監視、特に15世紀から18世紀にはサラセンの船の監視をしていた。
    入口で入場券を買って高さ20mの塔に昇ると、生者の町ピルジの遺跡の全景と真っ青なティレニア海(エトルリアの海)が広がる。
    古代エトルリア人、フェニキア人はこの海で活躍していた。
    城の中庭にあるバプティスト教会の祭壇には,、 15世紀ルネッサンスの画家アントニアッツォ・ロマーノが若い時 に描いた聖母子のフレスコ画があるので、是非足を運びたい。
  • エトルリア・ピルジの遺跡への行きかた
    ローマからピルジ遺跡(現サンタ・セベーラ)へは、 地下鉄A線コルネリア駅よりコトラル社のバス(30分おき) で国道1号線SS1を走り約1時間でサンタ・セベーラに到着。
    バスが国道沿いに停車するので、サンタ・ セベーラ城までは一本道のカステッロ通りを1kmほど歩く。
    国道1号線はアウレリア(シーザーの母の名)街道と呼ばれ、北イタリアのピサ、ジェノヴァまで続いている。

エトルリアの生者の町(チェルヴェーテリ)

  • サンタ・セベーラ城から内陸のエトルリアの町があるあるチェリヴェーテリまでは、コトラル社のバスで ラディスポリ(ローマ時代から海水浴場で有名)経由で30分で到着。
    15世紀に建てられたルスポリ城内の 考古学博物館を訪れ、墓からの出土品、エトルリアの製品、ギリシャ、エジプトの製品などをみると、 その技術に驚かされるだろう。
  • チェリヴェーテリは、紀元前6世紀ごろのエトルリア時代はカイレーと呼ばれ内陸の中心地だった。
    海岸地帯のピルジやアルシウム、内陸のエトルリアの町の間には、星型の道路ネットワークが整備されていた。
    ここにはエトルリア人とギリシャ人の作業場があり、壷や装飾品が生産され、国内のみならずローマとも交易があったとのこと。

エトルリアの死者の町(バンディタッチャのネクロポリス)

チェルヴェートリから凝灰岩を削ってバンディチャッタのネクロポリス(死者の町)に道が続く(Via degli Inferi)。 ここは地中海世界で最も大きいネクロポリスで世界遺産に指定されている。
バンディチャッタの名前の由来は、生者の町チェリヴェートリから場所を借りるとのことであるらしい。

死者の町の墓は紀元前9世紀の鉄器時代から紀元前3世紀のエトルリア人まで。全体の1部分10haの 場所が見学可能で、1000基の墓が取り囲んでいる。エトルリア時代の墓の形は、盛土(マウンド)タイプと 立方体(ダイス〕の2種類。後者はモンティ・チェリティ通り(Monti Ceriti)とモンティ・デッラ・トルファ通り(Monti della Torfa)の2本の道に沿って造られている。

入口を入って100mほど進んだ左手奥には鉄器時代の墓がある。
一番の見所はおなじく300mほど行った左手にある紀元前4世紀のレリーフの墓(Tomb of the Reliefs)と呼ばれているマウンドタイプの墓。
内部はフレスコ画や同時代の生活用具を現す彫刻や低いレリーフに飾られている。
夕方、チェリヴェートリをコトラル社のバスで発ち、 アウレリア街道を1時間10分でローマ・コルネリアに到着。


コメント
コメントする